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2023-09-16 09:16:28
匿名さん
の質問
非公開
古文をどう思っている(いた)かを教えて
1000年前の貴族のお耽美な恋愛事情とか本当にどうでもいいし日本史選択者じゃないから時代背景も知らんし要らんもん残しやがってよ〜モチベは0だけど必要だから仕方なく、本当に仕方なく鉛筆進めま〜〜〜す
ってモチベーションでやってました(戦記物だけ好きだった/漢文も世界史の知識が活かされるので好きだった)
ってモチベーションでやってました(戦記物だけ好きだった/漢文も世界史の知識が活かされるので好きだった)
何を言ってるかさっぱりわからん
漢文もギリギリ苦手だった
ただ古代中国史に最近興味持ったので
今の方が理解や興味がある・・・(教科書や資料集見返したら、興味ある部分あって、今だったらもっと熱量持って取り組めたのに!ってなった)
ただ古代中国史に最近興味持ったので
今の方が理解や興味がある・・・(教科書や資料集見返したら、興味ある部分あって、今だったらもっと熱量持って取り組めたのに!ってなった)
和歌の意味、圧縮されすぎ
「唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」
を現代語訳すると
「(何度も着て身になじんだ)唐衣のように、(長年なれ親しんだ)妻が(都に)いるので、(その妻を残したまま)はるばる来てしまった旅(のわびしさ)を、しみじみと思う」
になる
文字数倍以上になってるしなんだそのカッコの多さは
を現代語訳すると
「(何度も着て身になじんだ)唐衣のように、(長年なれ親しんだ)妻が(都に)いるので、(その妻を残したまま)はるばる来てしまった旅(のわびしさ)を、しみじみと思う」
になる
文字数倍以上になってるしなんだそのカッコの多さは
歴史の授業よりも歴史学んでる感が強い
表現の違いだったり世情への思いだったりとかで主に文化面に関しては社会の授業で学ぶそれよりも今の自分を象ってる割合が大きい
大好きな心のオアシス
他の授業は「授業だから」受けてたけど、古文だけは本当に好きだったから前のめりで聴いてた。寧ろ古典でリフレッシュしてた。
好きが高じて大学では古典文学専攻した(なお就職などには全く役に立たない模様)し、自分で古文の本買って読むようにもなった。
好きが高じて大学では古典文学専攻した(なお就職などには全く役に立たない模様)し、自分で古文の本買って読むようにもなった。
好き
得意だったのもあると思いますが、「どうせ頭使って解かなきゃいけないなら読み物として面白い分こっちの方が楽しいわな」と思ってました。光源氏みたいな(現代の価値基準では)イカれたロリコン貴族とかが出てくるたびに「こいつやっべ〜笑」と思いながら楽しく読んでました。
「どこに『良さ』を感じてるのか教えてくれ」と思ってた
難しいしわかんないし先生は「いい文ですよねぇ」ばっか言うし。どこがどう「いい」のか教えて。
今読むと多分良さを理解できるけど手を出してないです。
今読むと多分良さを理解できるけど手を出してないです。
今の我々につながる、或いは今ではなくなってしまった風習が垣間見れて面白い。
夫と書いてつまと読むとか、面白いよね。
連れ合いの片方とか、関係の深いものの片方、みたいな感じらしい。
みんな知ってたら、女性配偶者をつまって呼ぶのに論争なんて起きないのにな。
というか英語も英語圏の考え方が見えて面白いし、語学って全部それを使う人達の考え方を学ぶためだと思ってたわ。
連れ合いの片方とか、関係の深いものの片方、みたいな感じらしい。
みんな知ってたら、女性配偶者をつまって呼ぶのに論争なんて起きないのにな。
というか英語も英語圏の考え方が見えて面白いし、語学って全部それを使う人達の考え方を学ぶためだと思ってたわ。
面白かった
歴史が好きだったので当時の文化や儀礼、人間事情が伺い知れて楽しかった。古文の読み方に慣れるまではマジでだりぃ…としか思わなかったけど、ある程度読めるようになってからは1つの読み物として好きだったな。
古文も漢文も「はあ〜教養教養」と思いながら渋々学んでた