子どものわりに哲学的なこと考えていたな、という記憶を教えて
石を蹴っていると思ったときには石はすでに蹴られ、遠くに転がっている。石を蹴っているという瞬間だけを味わうにはどうしたらいいのか、と下校中考えてました。
魂=集合なのではないか。
脳細胞一つ一つの意識を感じられないこと、脳細胞が入れ替わるという話、集団が多数決を採る様子から、「魂と呼んでいるものの正体は同質のものの集まりで、なにかが集合するとき、そこに魂は生まれるってことなんじゃないか」と考えたりしてました。
何で朝が来たら昼、昼が来たら夕方・夜が来るのか。どうしてそれを繰り返しているのか。
小さい頃から夜が好きで、夕方になるにつれて体調がよくなりテンションが上がってくるから。ずっと夜が続けばいいのにと今も本気で思ってます。
私が「赤」と認識しているこの色が他者からみたとき私にとっての「青」でもわからない
小学生のころ色覚異常について知ったのをきっかけに、自分視点でしか世界を観測出来ない以上好きなものや見えてるものを心から共有できる人なんて存在しえないんだなと考えてました。大学の哲学の講義でその概念が「逆転クオリア」と名前が付けられるほど検討されたものであると知って感動した記憶。
どこまでが人間?
人間が長生きする為に色々な発明をするかもしれない。
交換が可能な生体パーツなんかができて、脳以外は全部そういうのになるのかも?
もしかしたら脳の代わりのパーツができるかもしれない。
でも全部が入れ替わったらそれは人間なのか?
脳が交換できるなら意識はどうなる?
交換が可能な生体パーツなんかができて、脳以外は全部そういうのになるのかも?
もしかしたら脳の代わりのパーツができるかもしれない。
でも全部が入れ替わったらそれは人間なのか?
脳が交換できるなら意識はどうなる?
もしかして輪郭線ってない?
お絵かきが好きな子どもだったのですが、自分の手をじっと見つめても黒い輪郭線が見つけられなくて、普段絵を描く時に引くこの線はなんなんだろう……と思っていた
今この瞬間に会話してる相手も、ゼロ距離で会話してるわけじゃないから過去
音とか光とか、なんでも伝わるのにタイムラグがあるってことは、今目に見えてる友達の姿もほんのちょっと過去ってことになるんじゃないか?と考えてた
今自分がこのことを考えているということを考えていて、それを考えているということを考えていて…
という思考のど壺にハマっていく幼少期を過ごしていました。この思考、考え出したら抜け出せないのでめちゃくちゃ怖かったです。
自分以外の人が「人間」だと証明することが出来ない
笑ってたり泣いていても、ただ「そうするようにプログラムされた」だけのロボットかエイリアンが擬態してるだけかも知れない。
…と考えて、一時期本当に怖くなってた。