子どものわりに哲学的なこと考えていたな、という記憶を教えて
石を蹴っていると思ったときには石はすでに蹴られ、遠くに転がっている。石を蹴っているという瞬間だけを味わうにはどうしたらいいのか、と下校中考えてました。
色が、どんな人にとっても同じ色に見えているとは限らないこと
色覚異常とかの話ではなく。
例えば、自分にとっての「青」が、他人には「(自分にとっての)赤」に見えていて、それを「青」と 呼んでいた場合でも、「空が青いね」って会話が成立する……みたいなことです。
説明が難しい。
例えば、自分にとっての「青」が、他人には「(自分にとっての)赤」に見えていて、それを「青」と 呼んでいた場合でも、「空が青いね」って会話が成立する……みたいなことです。
説明が難しい。
もしかして輪郭線ってない?
お絵かきが好きな子どもだったのですが、自分の手をじっと見つめても黒い輪郭線が見つけられなくて、普段絵を描く時に引くこの線はなんなんだろう……と思っていた
ある物を作るための物はどうやって作られたのか
がっちり封のしまったお菓子を見て、「このお菓子をがっちり封をした機械はどうやって作られたんだろう…」が段々連鎖して最終的にはこの世の最初に作られた物は誰の手によって…?とかんがえていた
本当に現実はこれなのか、実はこれは夢で自分は今違うところにいるのでは
色って人によって見え方が違うのでは?
私が赤だと思ってる色は他の人には黄色に見えているけどそれを赤と呼んでいたとしても気づくことができないのでは?
自分が見ていない時の家族の顔は全然違う人の見た目をしてるのではないか?と思ってた
確かめたくて、家族が油断していそうなタイミングを見計らって、ダッシュで台所に突撃したりして「ちっ..気付かれたか..」とか思っていた。
何で死んじゃダメなんだろうな
何でなのか分からなくて...親に聞いてもダメなものはダメ!や死んだら悲しいでしょ!としか言われずに内心「悲しいから死んじゃダメなの...?なぜ?死刑は?違う?なんで?どうして?誰が決めたの???」と考えていた。今も納得できるダメな理由がわからない。
私が「赤」と認識しているこの色が他者からみたとき私にとっての「青」でもわからない
小学生のころ色覚異常について知ったのをきっかけに、自分視点でしか世界を観測出来ない以上好きなものや見えてるものを心から共有できる人なんて存在しえないんだなと考えてました。大学の哲学の講義でその概念が「逆転クオリア」と名前が付けられるほど検討されたものであると知って感動した記憶。
自分が赤としている色は他人からしたら青かも知れない