コメントに書いた短歌についての解釈 が知りたい
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった
(吉川宏志『青蟬』より)
上記の短歌を読んで皆さんは、「愛を告げることができた」「愛を告げることができなかった」のどちらに解釈しましたか?
参考:https://togetter.com/li/1453202
(吉川宏志『青蟬』より)
上記の短歌を読んで皆さんは、「愛を告げることができた」「愛を告げることができなかった」のどちらに解釈しましたか?
参考:https://togetter.com/li/1453202
告げられた
解釈というか文法的に「=道の長さがちょうどよかったので愛を告げられた」という反実仮想の文にしか読めなかった。「愛を」より前を告白しようとしている最中の心の中の言葉とするのも変すぎるし…
告げることができた
長くても短くても告げられなかった、ってことは言外に「そうじゃなかった(=ちょうどいい長さだった)から告げられた」ってことでは?と思った。
できなかった
長い道のあの辺りまで進んだら言おう…!次言おう…今言おう…!と心の中で唱えながらも、言い出せないまま並んで歩いている姿が目に浮かびました。もうちょっと短かったらすぐに勇気が出たかもしれないのに!って思ってるし、もうちょっと長かったら心の準備が出来たのに!ってどっちにせよ思ってる甘酸っぱいイメージです
愛を告げることができなかった
長くても短くても、結局伝えられなかったのだろう──だと最初は思いましたが、考えれば考えるほどどっちかわからなくなってきてしまったので、とりあえず第一印象での回答です。
愛を告げることができた
(実は答えを知ってはいるのですが)
「あれより長くても短くても」からは「ちょうど、絶妙、ぴったりだった」という感じがしました。「花水木の道」から受けるイメージが綺麗なものなのも、祝福の花束のように感じる一因かもしれません。
「あれより長くても短くても」からは「ちょうど、絶妙、ぴったりだった」という感じがしました。「花水木の道」から受けるイメージが綺麗なものなのも、祝福の花束のように感じる一因かもしれません。
告げられた