暗黙のルールはどうして「暗黙」じゃなきゃいけないのかを教えて
道徳の「雨のバス停留所で」がオモコロで取り上げられ、ふとこんな疑問が頭に浮かびました。いちいち言わんでもわかる(とされている)から?明言しちゃうと矛盾点を突っ込まれるから?皆様の考えをお聞かせください。
誰かにとっては不都合だから
皆が皆大賛成なら声を大にして言えるけど、それをおかしいと思う人がいるだろうルールが暗黙の了解とされているような気がします。
おかしいと声を上げられるからこちらもルールとして提示しないの=暗黙の了解っていうイメージです。
ただ暗黙なので無いも同然です!気にせず生きましょう!
おかしいと声を上げられるからこちらもルールとして提示しないの=暗黙の了解っていうイメージです。
ただ暗黙なので無いも同然です!気にせず生きましょう!
例外への対処が難しくなるから
全て明文化してしまうのは大抵は楽になるんだけどちょっとした時のトラブルや非常時に臨機応変に対応するのが難しくなる。
(あと暗黙の了解を広めると新規者をコントロールしやすい。明記してないから責任とか無いし)
(あと暗黙の了解を広めると新規者をコントロールしやすい。明記してないから責任とか無いし)
自然発生したルール(空気)だから
定められたルールを守るために、暗黙の内にすり合わせられた空気感を「暗黙のルール」と呼んでいるに過ぎないのだと思う。ちゃんと話し合いで決められたルールではないため、結果的に暗黙のまま放置されている。
グレーゾーンが無くなるから
最たる例がコミケで、公式が2次創作禁止と明言してしまえばもう同人活動は出来なくなる。でも皆それは望んでないから公式に迷惑かけない範囲で楽しみましょっていう暗黙のルールがあるし、公式も目を瞑ってる
既存の明文化されたルールだと実践的(この場合はより正確にはアーキテクチャ的)に問題があるから
たとえばエスカレーターは真ん中に乗って手すりにつかまるのが明文化されたルールだけど、「2人分の幅の階段」の形が暗黙のルールを生んでいる。
あの場合、停留所に屋根があれば「暗黙のルール」は生まれようがなかった。明文化されたルールだけを守らなければならない世界なら、みんなびしょ濡れエンドになっていた。
あの場合、停留所に屋根があれば「暗黙のルール」は生まれようがなかった。明文化されたルールだけを守らなければならない世界なら、みんなびしょ濡れエンドになっていた。
明言するとさらにその内側にローカルルールが成立するから
だから今まで暗黙のルールだったものが明文化されるともう一段階厳しい暗黙のルールが生まれる。