ボカロを楽器として扱うことをどう思うかが知りたい
判断基準などは一旦さておいて、「ボカロを楽器として使う」という言葉に対してどう思うかが聞きたいです。
自分は、ボーカロイドというソフトは楽器ツールの一つだと思っているため、特に違和感は感じないです。
自分は、ボーカロイドというソフトは楽器ツールの一つだと思っているため、特に違和感は感じないです。
「“あえて”の手法」としてアリ
ただ、もし歌声らしくない調教の曲ばっかりになったら「ボカロ業界つまらなくなったな〜」と感じざるを得ないと思います。
私はどちらの手法でも好きです。
私はどちらの手法でも好きです。
できること全部やれ
バーチャルシンガーとして人格を与えて扱ってもいい
DTMのプラグインのひとつとして都合いいコーラスだけ歌わせてもいい
表現を狭める方向に拘るのはよくない
DTMのプラグインのひとつとして都合いいコーラスだけ歌わせてもいい
表現を狭める方向に拘るのはよくない
特に違和感なし
ボカロキャラは好きだけど、その言い方をされたからと言って「なんだと?」とはならない
扱う人によって個性がでるあたりに楽器らしさがあるのかな、と思う
人の声も捉えようによっては楽器なので、特に違和感はない
扱う人によって個性がでるあたりに楽器らしさがあるのかな、と思う
人の声も捉えようによっては楽器なので、特に違和感はない
違和感はない、むしろ良い
ただ、聴衆の意識の中でボカロの声とバンドの間に一線引かれているからこそ「意識を覆す/覆される快感」を得られるという所はあるので、あくまで「特殊な技法」であると収まりがいいと思う
作曲者の好きにおやんなさい
「ボカロは楽器」と思ってるPと思ってないPがどっちもいていいし、もちろんある日突然今までにない作風で音楽を作ってもいい
それだけ作り手が異常に多いこのジャンルには可能性があるので
それだけ作り手が異常に多いこのジャンルには可能性があるので
ちょっと違和感あります
ニコニコ動画黎明期からのユーザーです
ボカロに歌わせるため音声パラメータを操作するのを「調教」と言いますよね。楽器なら「調律」。
そういう言い回しを聞くと、あくまでボカロは人の形をしたツールであり、人間でも楽器でもない第3の立ち位置で、どちらにも分類されないと思っています。
ボカロに歌わせるため音声パラメータを操作するのを「調教」と言いますよね。楽器なら「調律」。
そういう言い回しを聞くと、あくまでボカロは人の形をしたツールであり、人間でも楽器でもない第3の立ち位置で、どちらにも分類されないと思っています。
キャラクター性を排除して声だけを使うのなら楽器だと思う
特に何も
人間の歌手も人間ではないような歌い方や、声を完全に楽器として扱うボイパやアカペラ伴奏をするし、ボカロもそういう使い方があるはずだと思う。
何も思わない
ボイパとかあるくらいだし、人の声もボカロも楽器として使うことはいいと思う
ただ以前ニコ動で#カイトって付いてるのにカイト出てこなくてもう一度よくよく聞いたら後ろでずっと「ボーッボッボッボーッボッボッ」って言ってた時はちょっと笑った
ただ以前ニコ動で#カイトって付いてるのにカイト出てこなくてもう一度よくよく聞いたら後ろでずっと「ボーッボッボッボーッボッボッ」って言ってた時はちょっと笑った
特に違和感はない