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2022-01-11 20:36:13
匿名さん
の質問
非公開
障がい者を特別に扱うのは障がい者差別なのかを教えて
24時間テレビとかを見ていると度々感じるこの疑問。たとえ相手が障がいをもった人であろうと、普通の人と同じように分け隔てなく接する(最低限度の補助はします)ことが本当の平等なのではないかと思うことがあるのですが、皆さんの考えを聞きたいです。
配慮は必要だが、何でも褒めたりするのは違う
たとえば車椅子の人に、「階段くらい自力で越えろよ」って言うのはダメだし、一緒に遊びに行く時バリアフリー設備について調べたりするのは必要な配慮だと思うけど、「生きててえらーい!」みたいなノリはバカにしてるようにしか見えない。
感動の対象や善の存在として扱うのは差別
主体が障害者本人ではなく閲覧・制作側にあり、当人のアイデンティティを意図的に無視してステロタイプに当てはめるために差別に当たると考える。
例:障害者は純粋で善である
類例1:黒人は暴力的である
類例2:低所得の白人は麻薬中毒者である
それ以外ではケースバイケース
例:障害者は純粋で善である
類例1:黒人は暴力的である
類例2:低所得の白人は麻薬中毒者である
それ以外ではケースバイケース
分け隔てなく接することは必要だけど、配慮も必要だと思う
障害が関係ある部分とない部分によって対応を変える必要はありそうだなとおもいます。
イメージとしては、アレルギーの人への配慮みたいな、食べられないものを無理に食べさせるのではなく、他に食べられるものを用意することがデフォルトになるといいのかなと思います。
イメージとしては、アレルギーの人への配慮みたいな、食べられないものを無理に食べさせるのではなく、他に食べられるものを用意することがデフォルトになるといいのかなと思います。
合理的配慮は必要
全員と同じように接することで、行動の機会やチャンスが狭まる人が出てきてしまったら不平等だと思う。
その上で24時間テレビについては啓発なのかなと思っています。
その上で24時間テレビについては啓発なのかなと思っています。
同じ対応ですべての人に相手することは一部の人間を生きにくくする
人間にはいろんな属性を持った人がいます。(障害ではないですが)たとえば高身長と低身長の人がいたとします。高身長の人に合わせて社会を構築すると電車のつり革が届かない人が出てきて、低身長のひとに合わせると天井に頭をぶつけたりします。これを防ぐためには「画一的なモノ・サービスを提供するのではなく、(続
支援が必要な人がいると知ってもらうために特別扱いは必要
メディアで特別に取り上げられなければ、自分と異なる人がいるということさえ日常生活で気付けない人が多いと思うので、必要な扱いだと思います。
Eテレのバリバラとか見ると面白いですよ。 24時間テレビについて論ずるのは最近の放送を見ていないので控えます。
Eテレのバリバラとか見ると面白いですよ。 24時間テレビについて論ずるのは最近の放送を見ていないので控えます。
特別な支援が必要だから障害者という分類がある
普通の人と同じ条件で問題なく働けないからこそ支援が必要になります。"特別"という表現はごもっともですが、そうでもしないとスタートラインに立てないので。世間には平等が正義みたいな風潮がありますが、大なり小なり不平等がないと社会は回らないと思いますね。
差別と言うのかは分からないが健全な状態ではないように思う
足が悪い人のために車椅子を用意するのは平等の範疇だけどその人自身がやらなければいけないことも代わりにやれ!みたいになると歪だなあと思います。
でも今の時代、まだまだ障害について発信していかないと認知してもらいにくい状況ではあるので仰々しく見えるのは仕方ないのかもしれないとも思います。
でも今の時代、まだまだ障害について発信していかないと認知してもらいにくい状況ではあるので仰々しく見えるのは仕方ないのかもしれないとも思います。
差別
見世物小屋とかに興味あったときに知った(本当かはわからないが)が
出演されてた身体障害者など中には、芸人であることを進んでやっていた方もいたそうです。
勝手に同情することも、差別だと思います。
出演されてた身体障害者など中には、芸人であることを進んでやっていた方もいたそうです。
勝手に同情することも、差別だと思います。
「障害がない人と同じくらいの生きやすさで生きられるように配慮する」のは差別ではない
逆に配慮しすぎて障害のない人のほうが生きづらくなることがあれば差別
「全員全く同じように接する」じゃなくて「みんなが同じくらい生きやすい状況になるように個人に合わせて接する」のが一番理にかなってるんじゃないでしょうか