この質問への回答はすべて匿名投稿になります。
まだ実在してない子どもについて考えても仕方ない
生まれてきたことが幸せかどうかは 生まれてから本人が自分の人生をどう思うかでしか判断できず、取り越し苦労のように思います
反出生主義になった経緯等もあるだろうしそういう考え方がダメ!だとは否定しないけど…
他人にまで攻撃するのはアウトだと思う。
(何で子ども作ったのか子どもが可哀想とかもっと酷い言葉で攻撃したりとか)
個人や仲間内で語るのは勝手にしたら良いと思います。
(何で子ども作ったのか子どもが可哀想とかもっと酷い言葉で攻撃したりとか)
個人や仲間内で語るのは勝手にしたら良いと思います。
「不幸になる可能性」が軸の主義なら、野生の世界はどうなるのさ?
極端な話、マンボウは1億から2億の卵を産み、それでもまともに大人になれるのはうち数匹。つまり不幸な目に遭う可能性は99%以上。
……だからマンボウを絶滅させましょうって話にならないなら、ダブスタもいいところですね。
……だからマンボウを絶滅させましょうって話にならないなら、ダブスタもいいところですね。
(反出生主義への反論にある)種の本能は根拠にならなくない?
生物として子孫を残す本能があるのは認めるけど、本能に従うことを善とする根拠がないので反論として成り立ってなくない?と思う(本能に従った闘争や強姦を善と言えるか?)
人間の倫理と野生動物の生態を同じステージで語るのは無理がある
人間の倫理と野生動物の生態を同じステージで語るのは無理がある
諦めたほうがいい
反出生主義者ではないけど言いたいことはわかる
ただ「反出生主義なら死ねば?」とかいう出生と生の違いもわからん理解する気も脳も無いのばっかが多すぎるので諦めたほうがいいと思う
ただ「反出生主義なら死ねば?」とかいう出生と生の違いもわからん理解する気も脳も無いのばっかが多すぎるので諦めたほうがいいと思う
アイディアとしては面白い
「生まれなきゃ不幸にならない」というアイディアは非常に面白いのですが、言い換えれば「幸福になるはずの人生が失われた」ともなります。20世紀以前なんて病気で簡単に死ぬし、平気で個人が蔑ろにされ残酷な差別が横行していたのに、それでも子供を作ったのは「この子の世代はきっとより良くなるだろう」という(続く)
個人的には共感している
個人的には共感しているし絶対子どもを作らないと思ってる。
自身が日々の生と死の葛藤に悩んでいるし、子にはこんな思いをさせずに幸せに育てるなんてことが出来るほどの力量もないから。
自身が日々の生と死の葛藤に悩んでいるし、子にはこんな思いをさせずに幸せに育てるなんてことが出来るほどの力量もないから。
マラソンとか好きじゃないんだろうな
疲れるのが分かってるのに走るなんて頭おかしい。
ジェットコースターは怖いのに、なぜお金払ってまで乗るのか。
みたいなこと言う人と同じなのかなと思ってる。
嫌ならここで待ってて。無理しないでいいよ。俺らだけで楽しんでくるわって気持ち。
ジェットコースターは怖いのに、なぜお金払ってまで乗るのか。
みたいなこと言う人と同じなのかなと思ってる。
嫌ならここで待ってて。無理しないでいいよ。俺らだけで楽しんでくるわって気持ち。
「なぜ生まれてきてしまったのか」と考えたことがあるが共感は出来なかった
反出生主義をよく知らなかった時その言葉の響きに自身の悲観的な考えを肯定してくれる何かがあるのではないかと感じてたけど、知った後は「ここまで正義感強くなれね〜」となった。遺伝的な障害があるので子供を持とうとは思わないが、持ちたい人は持てばいいし、結局自分一人が死ねばいいやってなっちゃう。
論理的ではあると思うけど人間の感情や本能には則してないと思う
生きたくない個人に適用するのはいいと思うけど全人類に対して適用するのは生物としての本能とか幸せに暮らしたい人の感情にはそぐわないものだと思う。
一周回って「人生を親が決める」ことに縛られてる
生まれたくなかったと感じている人が反出生を語っているのを多く見かけるが、結局それは「親が子の幸不幸を決める」ことを認めているのでは?と思う
子供はもっと自由に人生を決めるものだという考えの方が広まってほしい
子供はもっと自由に人生を決めるものだという考えの方が広まってほしい
「穏やかな絶滅」みたいなことをよく聞くけど
それで生活水準が下がった不便な状態って全然穏やかではないのではと思ってる