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2022-11-05 22:16:28
匿名さん
の質問
非公開
作品等を見る側に文句、批判を言う権利があるかを教えて
YouTuberの動画やアニメ、漫画など色んな作品に対して言えると思うのですがあんまりだなぁと思うことにその旨のコメントをして「文句あるなら見るな」「自分で作ってみろ」と言われているのを見かけます。
私は見る側にも意見や評価する権利?はあると思うのですが、こういうのは好まれないものなのでしょうか。
私は見る側にも意見や評価する権利?はあると思うのですが、こういうのは好まれないものなのでしょうか。
ある
それらも感想の一つであるので(あまりに度が過ぎるようなものでなければ)言うのは自由。
そのコメントに対して批判をするのもまた自由。
作者自身も反論するのも無視するのも自由。
そのコメントに対して批判をするのもまた自由。
作者自身も反論するのも無視するのも自由。
?質問の続き?
視聴者の声が必ず作り手に通りはしないということも、作り手にしか分からないものが全部視聴者に伝わるとは限らないとは思うから作り手と世論が違ってしまうこともあって必ず全部高評価という訳は無いと思うのです。
だからここはあんまりかなっていう発言くらいもまあいいんじゃないかなと思っています。
だからここはあんまりかなっていう発言くらいもまあいいんじゃないかなと思っています。
あるが、また誰かがそれに対して文句を言う権利もある
どんな感想を持つのも発言するのも自由だと思いますが、人の楽しみに水を差すような事をすれば反感を買うのは当然
それが嫌なら発言する場所を選んだ方がよいでしょう
それが嫌なら発言する場所を選んだ方がよいでしょう
誹謗中傷でなければ自由
自分で作ってみろは理論のすり替え、ハナから議論する気がないんでしょう。感想、評価は誰でも自由にして良いと思いますよ。批判したいならコメント欄よりも自身のツイッターの方が無難だと思います。見たくない人もいるので。
現代社会に批評は必要
批評というのはあって然るべき。突き詰めれば強烈なプロパガンダや差別的な表現を批判出来ない状況になりかねないし、表現には責任が伴うので。
ただ批評が暴言になると発表する側の権利を侵害することにもなるし、楽しんでる人の前で水差す人は無粋だと思う。批判も表現だから責任があるのはお互い様。
ただ批評が暴言になると発表する側の権利を侵害することにもなるし、楽しんでる人の前で水差す人は無粋だと思う。批判も表現だから責任があるのはお互い様。
批判はいいけど、文句は日記かチラシの裏にどうぞって感じ
批判ならこういう受け取り方もあるのか、と作り手的には思えるし勉強になる
文句は「自分が気に入らないから」と言ってる人が殆どだと思うから、じゃあ見なきゃいいと思うし、発散したいならチラ裏にどうぞと思う
文句は「自分が気に入らないから」と言ってる人が殆どだと思うから、じゃあ見なきゃいいと思うし、発散したいならチラ裏にどうぞと思う
あるけど批判するなら敬意を払って欲しい
批判するなら敬意を払って欲しい
不必要な暴言は明らかに誰かを傷つけて気持ち良くなりたいっていう魂胆があるから、その時点で何言おうが正当な批判じゃない
不必要な暴言は明らかに誰かを傷つけて気持ち良くなりたいっていう魂胆があるから、その時点で何言おうが正当な批判じゃない
権利は自由だが、書き込んでる場所がファンの多い所なのかは意識すると揉めないで済むかも
YouTubeや漫画の公式コメント欄なら当然ファンも多いんだから反論される事もある
反論され場が荒れたとしても公式に直接意見して構わないと思うけど、反論されたくないならTwitterやそういう掲示板等に書き込んだ方が楽しんでる人達と争わずに批評出来ると思う
反論され場が荒れたとしても公式に直接意見して構わないと思うけど、反論されたくないならTwitterやそういう掲示板等に書き込んだ方が楽しんでる人達と争わずに批評出来ると思う
あなたの考えていることと、言う権利があるかないか、に関係がない
コメント欄に批判コメントを書き込む権利があることと、批判コメントを世の中の誰かが叩くことは両立する。権利という言葉を使いたければ「意見の異なる気に食わない他人をネットで叩く権利はあるか」という方が現実に即していて、答えはある。相手が実名の場合、度を越した誹謗中傷は犯罪だけどね。
「文句があるなら見るな」に関しては見た後に感想が出てくるんだから見ることを避けようがなくない?と思う
文句があるなら見るな、自分で作ってみろはただの思考停止
誹謗中傷でなければ感想は自由に言えばいい
誹謗中傷でなければ感想は自由に言えばいい
匿名には権利も責任の主体も存在してない。実名なら発言に責任が伴うし権利も生じる。
発信側でもコメント側でもそれは同じ。
それを混同することは論理的な人たちには好まれないはず。
それを混同することは論理的な人たちには好まれないはず。
権利はあるが勘違いしてはいけない