理系と文系には壁があるのか、あるとしたらどういう壁だと思うかを教えて
ミニマムな事象を考えていったら宇宙を統一する理論に近づいていく感覚と、自己の存在を考えていくにつれ存在の不思議さを思い知ることが似ている気がする学のない者ですが…
一家言ある方の話が聞きたいです。
一家言ある方の話が聞きたいです。
「壁」にも種類がある
⚫︎数学に「拒否反応」を示す人が一定数いるのは事実っぽいので、その人たちにとっては(いわゆる)理系学問をやるのは現実的には無理だろう。
⚫︎↑と、自然科学とそれ以外(例えば哲学)の探究に原理的な違いがあるのかは別の問題。例えば哲学では、原理的な違いはないとする立場もある(自然主義という)。
⚫︎↑と、自然科学とそれ以外(例えば哲学)の探究に原理的な違いがあるのかは別の問題。例えば哲学では、原理的な違いはないとする立場もある(自然主義という)。
1人の人間の脳と時間リソースの限界
ルネ・デカルトが哲学者でありかつ「座標」を提唱した数学者であったように、かつては文/理なる区別はなかった。が、学問の深化と細分化によって、現代の研究者は下手するとデカルトへの注釈だけで一生を終える。文のプロが同時に理のプロになるには相当ハードルがある(もちろん文理に跨る細分化された領域もあるけど)
理系学生が勉強意欲を維持するのに使わざるをえなかった文系への差別意識による壁
壁は両者を苛むためだけにあるのではない。片方を守るためにもあるのだ。
ここから先へはいけないんだと自分たちで勝手にこさえてしまった壁
元はといえば簡単に割り切れないはずの学問を勝手に違うものだと決めつけて(というか思って)お互いに壁をこさえてしまったのが原因だと思う。
早く出てきて、ともに手をつなごう。
早く出てきて、ともに手をつなごう。
各自が「見下せる要素」を探そうとしなければ絶対にない