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2024-03-03 12:44:29
匿名さん
の質問
非公開
なぜ美しい映画や音楽が多くの人に見られているのに、社会は美しくないのかを教えて
例えばインターネットの誹謗中傷を取り扱う「推しの子」というアニメは多くの人に見られているが、それでも誹謗中傷する人は多いままです。ジブリ映画に感動して泣く人が、その口で自分の子供に心無いことを言ったりします。なぜでしょう。
エンタメとして消費してるから
映画であったことに感銘を受けて自分を見つめ直すきっかけにする、みたいなのって理想だけどそういう人ってあんまりいない。自分と向き合うのって辛いし、美しい映画や音楽に触れる度にいちいちそんなことしていたら疲れるから。フィクションに理想を求めたい(自分が理想を実現する努力は苦しい)って人結構いるよ。
逆に考えるんだ、社会が美しくないから美しい物語を求める。と
誹謗中傷する人が推しの子絶対に読んでるとも限らんしジブリで泣く人が虐待してるとも限らん。作品が存在するからと言って全人類が履修してるかは違うでしょ。そもそも世界が美しく清らかなら美しい物語が存在するかは疑問、そうじゃないから美しく清らかな物語に救いを求めるのでは。
マシになってやっとこさ今の社会なのかも
作品があったおかげでマシになって今の社会なのかもしれんと思ったことがある。作品が無かったら北斗の拳みたいにモヒカンが暴れる世紀末の社会だったかもしれない
娯楽として見てるだけで何か学ぶつもりなど無いから。
戦争映画見たって戦争はなくならねーし、相棒見たって犯罪はなくならない
愚民とはそういうもの
馬耳東風、馬の耳に念仏、ただの大衆娯楽
安っぽい喜怒哀楽に酔ってるだけ
愚民とはそういうもの
馬耳東風、馬の耳に念仏、ただの大衆娯楽
安っぽい喜怒哀楽に酔ってるだけ
自分を客観視できてない
物語は概ね客観的に描かれてるからわかるけど、実生活ではとりわけ意識していないと客観性に欠けるから、自分が物語の「悪」に当てはまる行動をしてると気付けない
そういう人たちにとっての「美しい社会」とは、万人が誹謗中傷する社会
見る映画等にもよるけど、誹謗中傷する人達からすればその行いは無力な小さい力が集まって巨悪を倒すという、まさに映画さながらの行為に映っている。
デジモンのぼくらのウォーゲームみたいな感覚。
音楽にしても愛する人を愛せというメッセージを受けたとして、愛してない人を害せまで解釈してしまう人もいる。
デジモンのぼくらのウォーゲームみたいな感覚。
音楽にしても愛する人を愛せというメッセージを受けたとして、愛してない人を害せまで解釈してしまう人もいる。
感情豊かな人間の方が誹謗中傷もするから
感動する側の人間は綺麗な感情のセンサーだけが敏感なわけではなく、全ての事象に敏感 だから好きなものには凄く感動するけど嫌いなものはそれと同じくらい憎む
むしろそういった作品に一切感動しない、感受性が皆無の人間の方が誹謗中傷もしない
むしろそういった作品に一切感動しない、感受性が皆無の人間の方が誹謗中傷もしない
人が戦う映画が人気だが、実社会で殺し合いが起こっていないのと同じ
美しい映画や音楽をそこまで考えて見てないから
キャラクターが好きとか流行ってるからという理由で見る人も多いし。エンタメは基本現実逃避または頭からっぽにして見る為のもの。
現実逃避したいから美しいのが作られる