ら抜き言葉、肯定派か否定派かを教えて
可能か受け身かの区別がつきやすいという理由で元々ら抜き言葉肯定派で、ら抜き言葉を利用した叙述トリック的な文章を見てからは更にその考えが強くなっています
でも 食べれる とかの言い方に違和感があるのも理解できるので、肯定派と否定派それぞれの意見が聞きたいです
でも 食べれる とかの言い方に違和感があるのも理解できるので、肯定派と否定派それぞれの意見が聞きたいです
どちらかと言えば肯定
現在国語学専攻の大学生です。授業でもら抜き言葉を扱いましたが、ら抜き言葉が生まれる過程は合理的かつ自然で、「できるべくしてできた日本語」という印象です。
ただ、まだ過渡期であるため正式な場では使わない方が良いのだろうなというのが個人的な見解です。
ただ、まだ過渡期であるため正式な場では使わない方が良いのだろうなというのが個人的な見解です。
肯定派
可能と尊敬を文脈を考えずに分けられるので。関西弁だと既に尊敬と可能は尊敬は「〜しはる」可能は「〜れる」で分けられます。東京弁の山の手言葉を基本にした標準語のバグなので直すべきでしょう。
半分肯定半分否定