記憶や人格は自我の本質ではない
では逆に、死なずに連続性が絶たれなければ記憶と人格が全くの別物に変質していてもそれは本人なのか?と考えるとそれも違うと思える
自他の境界とは我々が思うよりずっと曖昧なものなのだろうか