「多様性」について正直思っていることを教えて
LGBT、国籍、人種、宗教、趣味嗜好などなど
ここ最近になり「多様性」という言葉をよく耳にします。
そこで、この「多様性」について良くも悪くも思っている事を打ち明けてみて下さい
ここ最近になり「多様性」という言葉をよく耳にします。
そこで、この「多様性」について良くも悪くも思っている事を打ち明けてみて下さい
多様性はどうこうするものではない
あるものだし、誰かが認めるとか認めないとか関係ない。
否定しなければそれでいいもの。
だから、協調とかも違う気がしてる。
違法に侵害されない限り、寛容であればいいんじゃないかなと思う。
否定しなければそれでいいもの。
だから、協調とかも違う気がしてる。
違法に侵害されない限り、寛容であればいいんじゃないかなと思う。
否定的な意見を認めるのも多様性では?
何かと「多様性を認めよ」の時代だけど、「多様性を拒否する人」にもそれを求めるのなら、それは「多様性を認める」という画一性になるのでは?と思います。
多様性だけ唱えとけば先進的みたいな考えにならないよう気を付けないとなと思う
じゃあその多様性ってなんなの?どうなるのが理想なの?多数派の為に少数派が犠牲になったり少数派の為に多数派が犠牲になったりしてない?とか、そういうのを考えてかないとねってことだと思う
多様であることを求められる機会が多いのちょっとしんどい
別に個性出したいっていう気持ちはないので個性が強調される社会もそれはそれできつい。
過渡期なんだろうとは思うけど…
過渡期なんだろうとは思うけど…
使ってる奴全員要警戒のマジックワード
あらゆる多様性が認められるべきなのは当たり前のことであると同時に理想論なので、それらを踏まえたうえで現実と折り合いをつけながら社会システムを善い方向に変えてかなきゃいけないと思います。
目の前で困っている人がいたら助ける
世の中には多様な人がいます。しかしその人の肌の色や性癖、努力できる才能、思想、IQといった個性はすべて遺伝と環境によるもので100%運です。仮に今、目の前に変な人がいても、運次第では自分がそうなっていた可能性もあります。そんな中で自分にできることは、困っている人がいたらなるべく助けることだと思います
「当たり前」になるまで声を上げ続けて欲しい
し、上げ続けたいです。
ヘテロだったらこんな思いしなくて良かったのに、と思ったシーンが多々あります。
LGBTは声がでかい、なんて言われたりもしますが、こうでもしないと届かないので…。
気持ち悪いと思うのは自由ですが、私達が権利を求める事を妨げるのは辞めてほしいです。
ヘテロだったらこんな思いしなくて良かったのに、と思ったシーンが多々あります。
LGBTは声がでかい、なんて言われたりもしますが、こうでもしないと届かないので…。
気持ち悪いと思うのは自由ですが、私達が権利を求める事を妨げるのは辞めてほしいです。
居心地悪い時もある
自分はマジョリティ属性を多く持ってるから、正直居心地悪い時もある
ただ、多様性って皆が居心地良い世界を目指してるというよりは、生きる上で誰もその人の属性で侵害されず、等しく社会に関われる世界なんだろうなと思ってるので、その辺はめんどくさくても受け入れるべきだろうなという感じ
ただ、多様性って皆が居心地良い世界を目指してるというよりは、生きる上で誰もその人の属性で侵害されず、等しく社会に関われる世界なんだろうなと思ってるので、その辺はめんどくさくても受け入れるべきだろうなという感じ
本来「赤も青も紫も認める」のが多様性の筈なのに「全て紫に塗り潰す」事に躍起になる人が多いのが気になる
「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」(寛容のパラドックス)
寛容は不寛容(例:寛容なんかクソ喰らえ!)を寛容しなければならない、つまり不寛容はいつでも寛容を叩きのめすことができるけど、その逆はない、という…
寛容な社会(≒多様性を内包した社会)の恩恵に預かってる自覚があるので、他者に対してもなるべく寛容でありたい…とは思ってるけど、なかなか難しいよね
寛容な社会(≒多様性を内包した社会)の恩恵に預かってる自覚があるので、他者に対してもなるべく寛容でありたい…とは思ってるけど、なかなか難しいよね
能力値の低い人間をおいてけぼりにしてしまってる。
LGBTQとか、宗教とか、人種国籍とかそういう目立つものは多様性のとして護ろうとするいっぽう、頭の悪い人、要領の悪いひと、見た目の悪い人、人と関わるのが嫌いな人という、マイナスな個性を切り捨てがちなところがあると思うんだ。
少数派の意見が認められる一方で
多様性の尊重=少数派の意見が絶対正義になるワケではないんですよ
多様性の尊重とは今まで虐げられてきた少数派の恨みを晴らす復讐の文化などでは断じて無いのです