最上義時
義守が義時を偏愛したため義光との争いに発展。義光は義時を攻めて自害させた
山形県史や山形市史のほか、小説や一部家系図に登場し、史実として扱われるも、当時の史料には義時は登場せず、初めて名前が見えるのは18世紀末の文書であるため実在は否定される