”吃音症を克服する”ドラマのせいで大変そう
吃音症に関して詳しくないけれど、吃音症含めて人前で話せない事を克服するドラマが世に溢れているせいで”吃音を治さないのは甘え”みたいな事を言う架空の敵を作り出して部外者なのに勝手に苦しんでる
何とも思わない
吃音症という概念をしらず、吃音症の友達(思い返して気付いた)と話してたときも「ちょっと特徴的だなあ」としか思わなかった。程度の問題もあるかもしれんけど。
他人事ではないかもなあと思っている
小学生の頃の話ですが、原因はわかりませんが(ストレスか何かかな?)、一時的に吃音のような症状をかかえていた同級生がいました
その子は一年くらいで治りましたが、それがきっかけで割と簡単に後天的になりえるものなのかなと思うようになりました
その子は一年くらいで治りましたが、それがきっかけで割と簡単に後天的になりえるものなのかなと思うようになりました
ゆっくりでいいよという気持ち
ゆっくりでいいよという友達の言葉に自分は救われたので。小学校のとき吃音症で特別教室に通っていたので言葉がでないもどかしさちょっと分かる。
自分もそうかもしれないと思っていた
あまりにも吃りについて家族に苦言を呈されるのでそうなのかもしれないと思っていた
そうなのかもしれないけど各所(吃音症を知っていますか?的なネット記事とか)の吃音症の方の症状はもっと辛そうなので自分は……どうなんだろう……違うかもしれない………うーん………みたいな感じです
そうなのかもしれないけど各所(吃音症を知っていますか?的なネット記事とか)の吃音症の方の症状はもっと辛そうなので自分は……どうなんだろう……違うかもしれない………うーん………みたいな感じです
知ったときは驚いた
そういった症状が存在するのを知らなかったので初めて知ったときは結構驚きました
正直ハイパー急いでるときはちょっとじれったい気持ちになる可能性があると思います
でもそうでないときは内心よっしゃ!頑張れ!全然待つぜという気持ちです
正直ハイパー急いでるときはちょっとじれったい気持ちになる可能性があると思います
でもそうでないときは内心よっしゃ!頑張れ!全然待つぜという気持ちです
「吃音かな」とは気付かないふりをする
それが相手にとって良いことか悪いことかはわからんけど
「全然気にしてないよ」感を出すのも苦手なので
そもそも気付いたことを悟られないようにしがち
「全然気にしてないよ」感を出すのも苦手なので
そもそも気付いたことを悟られないようにしがち
何も思わないようにしている
自分にも何かしら他者と違う所があってそれが表に出てるか否かの違いしかないから別に何とも思わない
って確実に言えるように気をつけています
もちろん配慮は大事だけど憐み的な視点は嫌だなと...
って確実に言えるように気をつけています
もちろん配慮は大事だけど憐み的な視点は嫌だなと...
大変だろうなあ
今でこそ良くなりましたが、昔は軽く吃音があって、「私」とか妹の名前すらちゃんと呼べなくて困ってる時期があったので……大変だろうなと思います。
対峙した時の自分が怖い