「哲学」がどのような学問と定義/説明されているかをアゲて
哲学以外の学問については、(もちろん簡単ではないし、分かりやすくもなく、また厳密な線引きは無理だとしても)扱う範囲が言語化できそうではあるのですが、哲学がどのような学問かについては全然どういう説明がなされるのか想像もつかないので教えて欲しいです。自分なりの解釈でも一般的な見解でも構いません。
真善美の探求
真:正確なこととは何かを考える→形而上学・論理学→科学の礎
善:良いこととは何かを考える→道徳→倫理学・科学論
美:美術・芸術
神学→神様が作った世界を肯定するための哲学(哲学は神学の婢)→哲学から科学が独立→残された部分
みたいな感じだと聞いた気がする。
善:良いこととは何かを考える→道徳→倫理学・科学論
美:美術・芸術
神学→神様が作った世界を肯定するための哲学(哲学は神学の婢)→哲学から科学が独立→残された部分
みたいな感じだと聞いた気がする。
論理は思索の結果得られた答え(仮説)
答えを求めて探求する(仮説の検証や研究の意義)のが科学、
トロッコ問題のような、唯一無二の答えが存在しない疑問や客観的に確かめようがないことも含めて、考えた内容や過程を重視するのが哲学かと思っています。よって、一つの答えに定まる必要はなく、仮説を立てて検証する方法がとられるとも限らないと思います。
トロッコ問題のような、唯一無二の答えが存在しない疑問や客観的に確かめようがないことも含めて、考えた内容や過程を重視するのが哲学かと思っています。よって、一つの答えに定まる必要はなく、仮説を立てて検証する方法がとられるとも限らないと思います。
続き2:合理性や検証可能性の違いかもしれない。
科学の場合は、先行研究に基づき、予めわかっていることを把握したうえで、答えを深める・増やす貢献が求められます。
ただし、科学も、出た答えは最有力仮説に過ぎず、後から棄却されることもあり、議論は常に続いていくので、思索を軽視してるわけでは決してないということかと思っています。
ただし、科学も、出た答えは最有力仮説に過ぎず、後から棄却されることもあり、議論は常に続いていくので、思索を軽視してるわけでは決してないということかと思っています。
続き3
また、哲学の方も、厳密さ・厳正さを軽視するわけではなく、批判・検討を積み重ねて発展していくものなので、論理を軽視するわけではありません。
ただ、感性や倫理観等、科学とは異なる論理になることはあると思います。
長文かつこの考え方であっているかどうか分からないのですいません。
ただ、感性や倫理観等、科学とは異なる論理になることはあると思います。
長文かつこの考え方であっているかどうか分からないのですいません。
「論理」よりも「思索」を重視する学問
大学で哲学の講義を受けていました。どんな学問にも論理と思索が求められますが、論理を重視するその他の学問とは違い、哲学は思索に比重が置かれている。と、教授は説明していました。(哲学が論理を、また他の学問が思索を全く使わないというわけではありません)
追記です。詳しい方がおられましたら以下についても回答していただければ幸いです。
論理よりも思索を〜という回答があり、哲学の特徴を捉える上では興味深い視点だと思うのですが、論理と思索の違いがよく分からないです。
googleによると思索は秩序立てて物事を考えること、とのことですが、これは論理的思考と一般に呼ばれるものと何が違うのでしょうか。
googleによると思索は秩序立てて物事を考えること、とのことですが、これは論理的思考と一般に呼ばれるものと何が違うのでしょうか。
人間の生活を向上させる探究のうち、他の学問がやってないこと
個人的には「クラシック音楽」みたいなものかと思います。昔はそれが全てだったけど、今はわかりやすい部分をサブジャンルが担うので、いちばん古典的なのにいちばん尖っててわかりにくいことをやってる感じ。