「偏見」に対して思っていることが知りたい
他人の目を気にせず個性を大事にし棲み分けしていても、人生の節々で社会に許されないときがある。そういう道を選んだ者のSaGa…。 例えば「人種」「タトゥー」「整形」「ファッション」等何かに絞ってもいいし、難しく考えず単純な叫びでもいいし、「偏見」で感じたことを吐き出して欲しいです。
「偏見だけど」という接頭語を免罪符にしながら他人をほんのり殴る人は一定数いる
「私の目線が偏っているだけなので気にしないで欲しいんですが」という保険をかければどんなこと言っても許される、みたいな雰囲気を作ろうとしている感じがする
ちなみにこの意見自体もある種の偏見なので爆散します
ちなみにこの意見自体もある種の偏見なので爆散します
偏見を無くすことのデメリットを無視すると生き辛くなる
「本当は違う可能性もあるのに、そうと決めつけること」を偏見と定義すると
例えば自分が女性の立場だとして、強姦で服役した過去を持つ男とも仲良くする必要がある
過去に罪を犯したからといって、再犯すると決めつけるのは偏見だからだ
人の心理を無視した理想論に従うと、疑心暗鬼の世の中が訪れる危険性がある
例えば自分が女性の立場だとして、強姦で服役した過去を持つ男とも仲良くする必要がある
過去に罪を犯したからといって、再犯すると決めつけるのは偏見だからだ
人の心理を無視した理想論に従うと、疑心暗鬼の世の中が訪れる危険性がある
偏見の扱いむず〜い
人それぞれの個性に対する偏見やそれに付随する差別について、「自分は理解しているよ!」「そんなあなたも素敵だよ!」みたいな態度よりは
特段こちらからリアクションを起こすことなく「当たり前のこと」として受け流したいな、という心持ち
とはいえ自分も無意識のうちに偏見の目を向けてるかもしれんので気をつけたい
特段こちらからリアクションを起こすことなく「当たり前のこと」として受け流したいな、という心持ち
とはいえ自分も無意識のうちに偏見の目を向けてるかもしれんので気をつけたい
ネット内外で温度差が激しい
リアルで差別発言や、差別を問題視する発言を全然聞かない。ネットで差別の話題が沢山あるように見えるのは、視界が広くなっているのか狭くなっているのかどっちなんだろう
ある程度は仕方ない
人種や性別、障害などは自分の意思でそうなったわけじゃないからアレだけどタトゥーやファッションなどの自分で選択できるものに関してはある程度偏見を持たれるのは仕方ないというかそれでもいいと腹を括ってそうしてるんじゃないの?と思ってしまう
世界中どこ行っても偏見ばっかり
日本の嫌韓、嫌中を始め、どんな国に行っても偏見や差別はありました (どれだけリテラシーの高いとされる国でも)。結局はその人自身の価値観や環境、努力に帰結するので、「アメリカは差別がない」などの意見を聞くとむず痒くなってしまいます。
偏見なしに自分を見てもらえたら嬉しいので、自分も偏見なしに人を見れるように心がけてる
人は誰も偏見を持ってると思ってるので、偏見を持って見られるのは仕方ないと思ってる。
でも偏見なしに見てもらえた時はやっぱり嬉しいので、自分も偏見なしに人を見れるようになりたいと思ってる。
でも偏見なしに見てもらえた時はやっぱり嬉しいので、自分も偏見なしに人を見れるようになりたいと思ってる。
偏見自体は良くも悪くもない。押し付けることが良くない
価値相対主義的な考えをすると、どうしても各々の価値観のマイナスの部分として偏見が生まれてしまうのは仕方ないと思う。それ自体は肯定も否定もしなくていいと思うけど、自分の偏見をあたかも共通認識みたいに大声で言って周りに押し付けるのは頂けないと思う。自分の中にある偏見と上手く付き合って理性的に生きたい
○○使ってるやつはあたおかという偏見が怖い
何故かは分からないけどこの手の偏見見ると結構ダメージ受ける
androidユーザーあたおか扱いに傷ついていたら、青っぽいマスク使ってるやつはあたおかという偏見がバズっていて泣いた
あたおか偏見シリーズ該当するものが結構多くて怖い
androidユーザーあたおか扱いに傷ついていたら、青っぽいマスク使ってるやつはあたおかという偏見がバズっていて泣いた
あたおか偏見シリーズ該当するものが結構多くて怖い
偏見する人の気持ちは許したい
自分自身が他人に偏見されるステータスを持っているし、同時に他人を偏見しちゃう気持ちも持っているから。
自分は神経質になりがちだから、周りの人も皆んな同じように神経質だったらどんな気持ちなのか、想像しちゃう。
誰しも、アタマがピリピリしちゃうのはしかたない。
自分は神経質になりがちだから、周りの人も皆んな同じように神経質だったらどんな気持ちなのか、想像しちゃう。
誰しも、アタマがピリピリしちゃうのはしかたない。
皆なにかしら持っているもの。
無意識のうちにきっと誰でも持ってる。でもそれを口に出さないのがその人の品性であり人格。口に出すことの取捨選択をする力は、人間が生きるために必要な力だと思うの。
誰の中にもあるもの
なるべく無いのがいいと思うけど、気づかないところでわたしも偏見があると思うし、それを表に出さないのが賢さだと思う。
偏見なんてありません!っておおげさに叫ぶ人はちょっとうさんくさい。
偏見なんてありません!っておおげさに叫ぶ人はちょっとうさんくさい。
マジで偏見してる人は偏見してると思ってない