お涙頂戴が嫌いな理由を教えて
泣かせようとするの嫌いですってのはわかんなくはないんですよ
でも、漫才は笑わせようとしてるしホラー映画は怖がらせようとしてるけど、だから嫌いとはならないでしょ(怖いことそのものが苦手な人はいても)
それらとの違いってなに?
でも、漫才は笑わせようとしてるしホラー映画は怖がらせようとしてるけど、だから嫌いとはならないでしょ(怖いことそのものが苦手な人はいても)
それらとの違いってなに?
整合性ややりたいシーンのために不自然に感じるから
泣かせようとするのが嫌いなのではなく、やりたいことが先行して話のつじつまやキャラクターのイメージと合わないのが嫌です。
物語に感情移入していたのに、登場人物以外の誰かの意思を感じると冷めるので。
そういう場面が多くなりがちなのが感動シーンだというだけで、泣かせるシーンが嫌いなわけではないです。
物語に感情移入していたのに、登場人物以外の誰かの意思を感じると冷めるので。
そういう場面が多くなりがちなのが感動シーンだというだけで、泣かせるシーンが嫌いなわけではないです。
泣かそうと思って作られてるとさめる
泣くって時間のかかる行為だから
笑いや恐怖ってある事象に対して反射的に起こる感情だと思うんですけど、泣くってもっと時間のかかるエピソード重視の現象なので、そのエピソード自体がとってつけたような弱さがあるとそもそも泣くというアクションに至れない、いわゆる冷めた感じになっちゃって消化不良な感じが嫌なのかなと思います(自分は)。
権威づけされてるのが嫌
お涙頂戴ものと呼ばれるものって、単につまらないだけじゃなくて、「みんなは泣いてるけどね」みたいな上から目線の多数派意識があるのが嫌な感じがします。
最近はコメディでも「御大」が作った「一笑い頂戴もの」がちらほらあって嫌
最近はコメディでも「御大」が作った「一笑い頂戴もの」がちらほらあって嫌
「ほら〜泣けるだろ〜感動シーンだぞ〜」みたいな演出をされるとちょっと冷めちゃう
意思が見えると白ける
笑わせようとしてくる人はすでに若干おもしろいし怖がらせようとしてこられるとその時点でなんかもう怖いけど、泣かせにきてる人の顔が見えると涙は引く
順序が逆な気がする
「こういうのが感動するでしょ、こういうのが笑えるでしょ、こういうのが怖いでしょ」という意図だけ透けて見えて、実際にそう思えないエンタメに嫌悪感を覚える という流れで全て一貫してると思う。