「だれも傷つけないお笑い」にどう思っているかをアゲて
お笑いって、多少傷つけたほうが面白くありませんか
ありがたい
悪意にめちゃくちゃ敏感で笑われる側(デブ、ブスなど)に死ぬほど感情移入して見てるだけで辛くなるので例え笑いとして質が低くなってもできる限りその方がありがたいなと思います
TVでは傷つけない笑いだけになってフィールドが狭まった
ライブだと余裕で傷つける方もある(小さい劇場には「わかってる」観客しかいないので)
その分、フィールドが広大なので圧倒的な面白も転がってるし、つまらなさ、傷つき、ヤバさもある
その分、フィールドが広大なので圧倒的な面白も転がってるし、つまらなさ、傷つき、ヤバさもある
わざわざ時間を消費して見るのだから、傷つきたくない
極力 誰も傷つけない笑いだけを見たい。
「“誰も”傷つけない」というのはもちろん難しいけど、お笑いは娯楽なんだから せめてわざわざ人のこと傷つけないでくれと思う。
多少 毒のあるネタはそういう芸風としていいと思うけど、いじめや犯罪を笑うのはやめてくれ...
「“誰も”傷つけない」というのはもちろん難しいけど、お笑いは娯楽なんだから せめてわざわざ人のこと傷つけないでくれと思う。
多少 毒のあるネタはそういう芸風としていいと思うけど、いじめや犯罪を笑うのはやめてくれ...
ネタは好きだけどそういう呼ばれ方は好かない
よほど強いか直接の悪意でわざと傷つけるようならそもそもネタにもならないけど、そうじゃないネタの範疇なら傷つくとかないでしょ…ってなってる
誰も傷つけないお笑いの方が好き
自分が誰かを傷つけるお笑いは関係性を知らないと楽しめないタイプであり誰も傷つけないお笑いはそれなしで楽しめるので気軽で好き。
松陰寺「いや、誰かを傷つけていると自覚しているならきっとその分優しくなれる!」
「傷つける笑いが礎を築いてきたからこそ、傷つけない笑いが今輝けている……お笑いはいじめの温床だなんだという声もあるが、その分誰かの救いになってきたこともあるはずなんだ!そうだろう!」
「自分の観測できる範囲は」という言葉が頭につくだろうな、と思う
割といいことだと思うけど、それしか許されないのもね
2019のM-1決勝でミルクボーイやぺこぱのネタをみたとき、「あ、新しい時代だ…!」と強く実感したし、笑えたからスゴイなと少し感動した
でも鬼越トマホークのケンカ仲裁イジリとかは大好きな自分もいる
(女性の容姿弄りは見てて辛いしダサいのでそれだけは滅びてほしい)
でも鬼越トマホークのケンカ仲裁イジリとかは大好きな自分もいる
(女性の容姿弄りは見てて辛いしダサいのでそれだけは滅びてほしい)
お笑いの「過程で」人が傷つくのか、「結果で」傷つくのかによる
「結果で」誰も傷つかないお笑いというものはなくて、人の感情を動かすために何かを表現した時点で必ず誰かが傷つく。傷つけ上等。
一方、「過程で」人が傷つくお笑いは、例えるならブラック企業の自社自慢みたいなもので単純に引く
一方、「過程で」人が傷つくお笑いは、例えるならブラック企業の自社自慢みたいなもので単純に引く
見てて不快ではないけど刺激にかける