否定はしないこと
少数でも倫理的に問題がなければ否定はしない。
理解や共感まではできなくても
排除しようとはせずに存在を認めること。
最近の「多様性」は「侵略」の方が正しい気がする。
理解や共感まではできなくても
排除しようとはせずに存在を認めること。
最近の「多様性」は「侵略」の方が正しい気がする。
この世界にはいろんなやつがいるってのが現実だよってことかな。
自分や内向きの価値観だけで現実を否定していると不毛な衝突が繰り返さたり不当にないがしろにされる人もでて来るので誰でも等しく人間性が尊重される世界を築くよって方向のコンセンサスの大前提にあるものという感じかも。しらんけど。
そうなんだね、って言える
何であるか、何が好きか、何が許せないか。
それがどんなに珍しくてもそうなんだねって認めること。
具体的には、人種、性別、職業、趣味嗜好、宗教など。
但し、他人が嫌がったり過度にマナー違反に当たったりするものは例外。
それがどんなに珍しくてもそうなんだねって認めること。
具体的には、人種、性別、職業、趣味嗜好、宗教など。
但し、他人が嫌がったり過度にマナー違反に当たったりするものは例外。
現状維持できないという前提のもとで、排除するものを最小限にするという方針
何かしら課題に対処しないといけない場合に影響を最小限にとどめたい、という考え方。今のまんまで良いのなら多様性という尺度を持ち出さなくてもいいし「多様性は既に達成されてる」と見做すのもいい。現状についての話であって「可能性や選択肢を未来に多く残す」みたいなのはまた別のことだと思う。
色んなものがあるということ
その辺に落ちてる石だって色や硬さがそれぞれ違ってたりする。
人間で言えば色んな人がいるということ。何に喜びを感じるのか、どんな性格なのか、身体的特徴も全部多様性。
人間で言えば色んな人がいるということ。何に喜びを感じるのか、どんな性格なのか、身体的特徴も全部多様性。
三方一両損
それぞれに趣味嗜好があるし、それらのベン図は全て被る事はない。
萌絵が嫌いだからと無くせと言わない
犬食、鯨食、牛豚羊食だって文化による。
猛毒のフグを食う蛮族もいる(誉め言葉)
それら別の個性を"受忍する事"で達せられるのが多様性