オタクの間で「公式にたくさんお金を貢ぐのは正義」という風潮ができたのはいつかを教えて
十数年前はどちらかというと
「流行り物に何も考えずにジャブジャブ金を使うスイーツ(笑)(※今でいう陽キャに近い層の蔑称)、そうではないオタク」みたいな空気感だった気がしますが
いつから質問文のようになったのでしょうか?
それとも昔からオタクの間でも大金を使うのが正義って空気はあったのでしょうか?
「流行り物に何も考えずにジャブジャブ金を使うスイーツ(笑)(※今でいう陽キャに近い層の蔑称)、そうではないオタク」みたいな空気感だった気がしますが
いつから質問文のようになったのでしょうか?
それとも昔からオタクの間でも大金を使うのが正義って空気はあったのでしょうか?
「お金を使わないオタク」はインターネット混沌期の産物
当時のインターネットは今から比べるとかなりアンダーグラウンドで、当然のように「割れ」が行われていた。そのため公式にお金を落とすオタクは金の無駄遣い、気持ち悪い信者、割れを使う能力がない賢くない人、そういう扱いを受けていた側面がある。権利者削除などが一般化してそのへんは浄化された。
AKB48がブームになった辺りから?
握手券や総選挙の投票券が同梱されたCDが発売されたことで、「自分が貢げば推しに還元できる」というシステムが世間に浸透したのはありそう
2010年前後のAKBブーム、まだTVを中心とした文化のノリが残ってた時代なので勢いがヤバかった記憶がある
2010年前後のAKBブーム、まだTVを中心とした文化のノリが残ってた時代なので勢いがヤバかった記憶がある
他の人も言っているけどソシャゲが多くなってからだと思う
買い切りのゲームには基本的にはサ終の概念はないけどソシャゲにはゲームそのものが終わる可能性があるので、課金するオタクは偉いみたいな風潮が主流になっていった気がします
昔からある
力士のタニマチとか美術家のパトロンなんかは推しの生活支えるために金出すオタクの代表みたいなもんでは?
ネットがない頃のアニメ特撮オタクも珍しいグッズ持ってるやつが偉いみたいな風潮はあったし金は使ってるイメージある
ネットがない頃のアニメ特撮オタクも珍しいグッズ持ってるやつが偉いみたいな風潮はあったし金は使ってるイメージある
SNS普及で作者側の嘆きや公式の事情が目に入りやすくなった
・中古だと作者に印税は入らない
・円盤が売れないと二期の可能性が消える
当たり前だけど知らない人・気にしてなかった人も多かったわけで、それを認知しやすくなった。
・円盤が売れないと二期の可能性が消える
当たり前だけど知らない人・気にしてなかった人も多かったわけで、それを認知しやすくなった。
SNSが盛んになったあたり?
円盤をこれだけ積みました〜とか、誕生日に缶バッジ祭壇を映したり、私の部屋はグッズ部屋で〜とか、物理的にグッズを集めてネットで見てもらうことで承認欲求を満たせやすくなったのもでかいかなと。憶測だけど。
「推し」という言葉が一般化され始めた辺りから
ありとあらゆるもの、人物に対し「推し」という言葉が使われるようになってから、分かりやすく公式、あるいは本人にお金を貢げるようになった気がします
ソシャゲが出てきてからだと思う
新しいものに飛びつきやすくなって、数こなしてナンボみたいになって、課金するのがオタク…みたいになっていったように思う