五億年ボタンと、私たちの人生の違いを教えて
最後に記憶が消えるから、五億年ボタンを押しても苦しみはないという意見があります。しかし、例えば私が85年生きるとして、それは「85年ボタン」を押した状態と等しいのではないかと思います。そのため5億年ボタンを押した後も、この人生と同じくらいの実感を伴った生が待っているのではないでしょうか。
違いはない
「苦しみはない」というより「苦しみは私に関係ない」ということかも?
五億年苦しんで最後に「すべてを忘れる」という形で死を迎える私は、私から派生した別の私であって今の私とは全く関係ない……という考え方なのではないかと思います
五億年苦しんで最後に「すべてを忘れる」という形で死を迎える私は、私から派生した別の私であって今の私とは全く関係ない……という考え方なのではないかと思います
前提が違う…?
85年生きて死ぬなら、死ぬことによって記憶はなくなるからボタンと同じだという意味なら、「ボタンは押したその後も人生は続く」「ボタンと違い、周りも自分も実際に時間が経っている」という点で異なる。死ぬのと記憶が消えるのとは違うと思う。
こういう哲学系の質問好き。
こういう哲学系の質問好き。
5億年ボタンは娯楽も何もない虚無の空間に一人ぼっちにされる