道徳の科目が必要な理由とは?
道徳の授業は必須科目だけれど、どうして授業として必要なんだろう。学習指導要領でかっちり決まってるけど、難し~!
社会で生きていく上で必要なモラルとマナーの植え付け
「人が嫌がることはしない」「きちんと挨拶をする」「ずるいことはしない」みたいな、モラルに対する教育って家庭環境に左右されすぎるから強制的に「そういうもん」を学ぶ機会がいると思う。「ムカついたら殴っていい!」って教えられてる家庭だってあるわけだから…。
逆に道徳の科目が不必要な理由がよくわからない
①人間に道徳は必要ないから
→まあそんなことはないでしょう
②人間は本来的に道徳的だから
→純度100%の性善説を肯定する人も多分珍しい
③道徳は家庭教育で十分だから
→「道徳」の部分に任意の科目を代入できそうだし道徳だけ不必要な理由にはならない?
→まあそんなことはないでしょう
②人間は本来的に道徳的だから
→純度100%の性善説を肯定する人も多分珍しい
③道徳は家庭教育で十分だから
→「道徳」の部分に任意の科目を代入できそうだし道徳だけ不必要な理由にはならない?
答えがないことについて議論する中で、自分以外の考えに触れる機会を作るため……?
答えが決まってたらそれにたどり着くまでのルートを辿るしかないけど、答えがないもの、人の数だけあるものについて話し合うことで人が変われば考えや経験が変わるという当たり前のことを幼少期から学ばせるため かなぁと
"自分と他人の差"を知るため
『こういう事でも人は傷付いてしまうことがあるんだ…』とか、自分と他人の感覚の差を実感しないといけないから。差があるって気付きもしないまま大人になると、悪気なく人を傷付けてしまったり、個人的に最悪なのが「私に出来たんだから君にも出来るはず。何故しない?(訳:仕事しろ!)」的な、思考停止怒髪天になること
子供のうちに一度触れさせておいた方がいい概念だから…?
道徳科目を必須じゃなくしたとして、「道徳」って言葉を知ることすらないまま就職する人が増えたら何かしらの治安は悪化しそうです
教育は洗脳とも言いますし、素直なうちに「道徳」を共通認識(と語彙)に組み込んでおいた方がいいから、とかですかね…?
教育は洗脳とも言いますし、素直なうちに「道徳」を共通認識(と語彙)に組み込んでおいた方がいいから、とかですかね…?
命や思いやり等について考える機会を全員に設けるため?
みんなで平和な社会がつくれるように。
学習指導要領で決めておくのは確実に履修させるため。
個々に任せると受験に必要ないからとかでやらなかったりする。
学習指導要領で決めておくのは確実に履修させるため。
個々に任せると受験に必要ないからとかでやらなかったりする。
答えがない問題について話し合うため
一応国語とかで限定的に扱う事もあるけど、ほとんどの問題は答えが一つと決まってる。しかし実生活ではそういう事は少ないので、人によって意見が違う事などを知るいい機会なのかなと。
学校科目の中で唯一答えが不定形だから