知識欲を満たされる以外の面での雑学の価値を教えて
例えば「三毛猫の雄は稀少」ってその言葉だけを知っていることに意味や価値はあると思いますか?
雑学を身につけることはその人の勝手・趣味だと思うし、一分野のみに精通していることだって素晴らしいはずなのに「広く浅くでもいいから何でも知識を身につけろ」みたいな雰囲気を感じることが多いので質問しました。
雑学を身につけることはその人の勝手・趣味だと思うし、一分野のみに精通していることだって素晴らしいはずなのに「広く浅くでもいいから何でも知識を身につけろ」みたいな雰囲気を感じることが多いので質問しました。
体験が特別になる
「あ、三毛猫じゃん、かわいい〜」よりも、「あ、三毛猫じゃん、しかもオスだ、めずらし〜。そういえばオスの三毛猫は幸運の象徴ってきいたことあるな。きっと地域に大切に育てられてるのだろうな。人間だとXXYの人は手足が長いらしいけど、この子はどうなのかな。あ、逃げちゃった。かわい〜」のほうが楽しいきがする。
知っていることで得することもある
雑学って日常に密着したものが多いので、意外なところで役に立つこともあります。
広い知識をもつことが偉いとは思いませんが、無駄なことはないと思いますよ。
広い知識をもつことが偉いとは思いませんが、無駄なことはないと思いますよ。
特にない
強いて言えば「物知りだな~」と思われることぐらい。価値のある学びだったら「雑学」とは呼ばないし。ただ、「知識欲が満たされる」ことの快感は他にメリットなんて要らないぐらい大きい
発想が深くなる
視野が広がるというか。
三毛猫のオスが希少なのは性染色体に毛色を決める遺伝子があるからですが、それを踏まえて血友病などの伴性遺伝による疾患を知ると、女性より男性に発現しやすい理由が分かりやすくなります。
後は知識人ぶって他人を煙に巻こうとする人から自衛できるので、知識はあるだけ無駄にはならないかと。
三毛猫のオスが希少なのは性染色体に毛色を決める遺伝子があるからですが、それを踏まえて血友病などの伴性遺伝による疾患を知ると、女性より男性に発現しやすい理由が分かりやすくなります。
後は知識人ぶって他人を煙に巻こうとする人から自衛できるので、知識はあるだけ無駄にはならないかと。
言葉のみは価値が薄い どのくらいそれに対して学び覚えるか、アウトプットする時に真価が問われる
浅い理解だと友達や家族に自慢できるが深入りされた時に詳しく答えられない
「ネット/TVで見た」「なんか思いついた」程度で相手の記憶にすら残らない
興味のある分野から雑学をついでに覚え猫というワードが出た時、連想できると役に立つ 三毛猫以外の猫も言え、知識として定着する
「ネット/TVで見た」「なんか思いついた」程度で相手の記憶にすら残らない
興味のある分野から雑学をついでに覚え猫というワードが出た時、連想できると役に立つ 三毛猫以外の猫も言え、知識として定着する
会話のネタになる