心は存在すると思うかを教えて
痛覚の刺激が脳に伝わって処理されることと、「痛い」と“感じる“ことって、遊離してない? と思いました。おしえてください。
後天的に獲得する
「刺激」への感じ方・表し方に個人差があるのは周囲の環境や触れた文化の違いに由来すると思います。生まれたままの人間は「刺激」を知覚することはできても、反応の取り方は分からないのではないでしょうか。
仮に体の中に無かったとしても、ワイヤレスでどこか遠くにあるのかも知れないと妄想したことがある。
それは天国とか、月とか、富士山とかにあるのかも知れないと。うーん…怖っ。
物理的には存在しない
でも、気持ちが苦しい時は胸がリアルで痛くなるので、脳と心臓が連携して「心」という虚像…幻想?を作っているのでは?と思っている。
ない方が好都合
感受性の違いで悩むことのある身からすれば、心と呼ぶものが最終的には電気信号なり元素構成なり技術で制御できるものであってほしい。
ディストピア的思考だがそう思う。
誰もが真人間にも狂人にも自由になれる世界を望みたい。
生まれ持った性格で生きる道が定められてしまう、これが「心」でいいのか?
ディストピア的思考だがそう思う。
誰もが真人間にも狂人にも自由になれる世界を望みたい。
生まれ持った性格で生きる道が定められてしまう、これが「心」でいいのか?
存在する
心が存在しないと感覚のことを痛いと思うことはないと思うからです。
あと、私は日によって気持ちが人が変わったようにめちゃくちゃ変わる人で、そういうのは心があるからこそできることだと思うからです。書いてて意味がわからなくなってきました。
あと、私は日によって気持ちが人が変わったようにめちゃくちゃ変わる人で、そういうのは心があるからこそできることだと思うからです。書いてて意味がわからなくなってきました。
存在すると思う
雨が降ってなぜか気分が落ち込むことと、低気圧で体調が悪くなることは別物だと思う
心がなければ「体調が悪い→気分が落ち込む」という図式にはならんのでは?と思うので
心がなければ「体調が悪い→気分が落ち込む」という図式にはならんのでは?と思うので
抽象的な回答だけどある
人間はものすごい数の細胞の塊。
原子レベルで見ればなにも個を持たない物質が集合すると
あたかも個があるような感覚が生まれる。
今私がここに存在するという証拠はあるのか?
この目が見える、手足の感覚があるといったことはどういうことなのか?
生きているという感覚に対して疑問を持つことが心なのか?
原子レベルで見ればなにも個を持たない物質が集合すると
あたかも個があるような感覚が生まれる。
今私がここに存在するという証拠はあるのか?
この目が見える、手足の感覚があるといったことはどういうことなのか?
生きているという感覚に対して疑問を持つことが心なのか?
痛みに限って言えば存在しないと思う
他の感情についても、複雑な科学的因子をマクロに心と表しているだけで、単一の心という機能はない気がします
ただ存在=定義可という意味であれば、あると言えます