推しを「消費する」って何なのかを教えて
高次元すぎる概念で分かりません。キャッキャ楽しむようなオタクの活動全般が消費行動で良くないことなのか……お金を出したりきちんとした意見を出すとかなのか……でも自分は頭も良くないしお金もそんなに出せないし、バカなオタクは結局消費しかできないのだろうか……と悶々としています。
勝手に期待して、勝手に幻滅することかと思います
たとえば推しに非喫煙者であって欲しいと願い、実際は喫煙者だとわかった時、プラマイゼロじゃなくてマイナスの方が大きいみたいな。転じて、「勝手な期待」の方も、その危険性から忌避されるのかなと。経済的な消費とは別の概念だと思います。
見ること
消費とは経済学で「物やサービスを使うこと」なので、コンテンツやタレントを消費するとは、見たり聞いたりして楽しむことになります。
「消費」自体にはマイナスの意味は全くありません。見せたくないプライベートをコンテンツとして消費すれば問題ですが、見せるために出されたものを消費する分にはWin-Winです。
「消費」自体にはマイナスの意味は全くありません。見せたくないプライベートをコンテンツとして消費すれば問題ですが、見せるために出されたものを消費する分にはWin-Winです。
多分、過度な性的消費やコンテンツに対してお金を払わない消費行動のことを擦っている言葉だと思うけど
そもそも消費は悪い事じゃない。消費が行わなければ次の生産(供給)は永遠に行われないし。
でも過度に性的、等の理由で他人に不快な思いをさせる行動はまた別の問題になってくるので気を付けようね!で良いと思う。
あと無理はしなくて良いけど、ある程度はコンテンツにお金を入れた方が界隈が盛り上がるぜ!という話。
でも過度に性的、等の理由で他人に不快な思いをさせる行動はまた別の問題になってくるので気を付けようね!で良いと思う。
あと無理はしなくて良いけど、ある程度はコンテンツにお金を入れた方が界隈が盛り上がるぜ!という話。
表面的なものしか見てない...とか?
凄く極端に言うなら「〇〇を推している私」が好きみたいなやつなのかなぁ...
自分を彩る記号(別の話だが倍速視聴的な)としてしか機能してなければ、消費っぽさを感じることはある
(グッズを積まなすぎる自分みたいなのもどうかと思うが)
自分を彩る記号(別の話だが倍速視聴的な)としてしか機能してなければ、消費っぽさを感じることはある
(グッズを積まなすぎる自分みたいなのもどうかと思うが)
推すこと、応援することは消費とは考えない。
推しに対して「私はこうして欲しい」という思いを持った時、推しはそうしたくはないけれど顧客の要望に答える為に自身を律して行動したとすると、それが好意からくるものだとしても心身になんらかの消耗が起きる可能性がある。
故にそれは推しが活動をする上でのモチベーションを「消費」する行動と言えるかもしれない。
故にそれは推しが活動をする上でのモチベーションを「消費」する行動と言えるかもしれない。
自分の満足だけを満たすのが消費?
自分もあまり聞いたことのない概念なので自己解釈でしかないのですが...
趣味という話題の中で消費という言葉にはイマイチ良いイメージが湧きません、何かしらの還元すらもなく操り人形的な存在でいてほしい的な考えが消費な気がします
趣味という話題の中で消費という言葉にはイマイチ良いイメージが湧きません、何かしらの還元すらもなく操り人形的な存在でいてほしい的な考えが消費な気がします
我欲に走りすぎる=消費
どんなに非現実的な推しでも、どこかに自分と同じように現実を生きる人がいるし、尊敬とか気遣いの気持ちを忘れたらいけないよなと…自戒ですが…