「推し」という言葉にまとめられることで、自分の感情の言語化を放棄させられている感じがする
なぜなら「推し」って言葉の、全てを表しているようで何も表していないような曖昧さが嫌いだから。
あと、「推し活消費は幸せ!」みたいな論理は、「オタク」を金を使わせるために単純化しているように感じる。