あなたの「3.11」をアゲて
11年が経ちましたね。11年前のあの日何をしていたか、3.11という日付に思う事を教えて下さい。
私は専門学校入学前に昼寝してたらすごい地震が来たのを今でも覚えています。
東北に幸せを…
私は専門学校入学前に昼寝してたらすごい地震が来たのを今でも覚えています。
東北に幸せを…
化粧品の工場で働いていました
舞い上がる白粉で前が見えなくて地下の作業場から壁伝いに脱出しました。わりと真面目に死ぬかと思った。
帰宅したら家も崩れかけ(のち全損と判明)。
軽ワゴンに布団を積んで、母と3匹の犬と私とでみちみちと寝ました。
電気のない夜はとても寒くて、ただその日の星空は今まで見た中で一番きれいだった。
帰宅したら家も崩れかけ(のち全損と判明)。
軽ワゴンに布団を積んで、母と3匹の犬と私とでみちみちと寝ました。
電気のない夜はとても寒くて、ただその日の星空は今まで見た中で一番きれいだった。
学校にいた
当時は高校生で学校の休み時間だった。
一旦それぞれの机の下に潜ったけれど、窓ガラスはガタガタ鳴るしロッカーは勝手に開閉するし教室の内外から悲鳴が聞こえるし、怖かった。
その後校庭に避難したのち雪が降ってきたので体育館に移動、歩いて帰った。
一旦それぞれの机の下に潜ったけれど、窓ガラスはガタガタ鳴るしロッカーは勝手に開閉するし教室の内外から悲鳴が聞こえるし、怖かった。
その後校庭に避難したのち雪が降ってきたので体育館に移動、歩いて帰った。
仕事中
当時某小売店のデジタル家電売場に配属されていました。十数台の売場中のテレビでリアルタイムに報道されていく様子を、ただ茫然と見ていたのを覚えています。今は違う仕事をしていますが、あの時の光景は一生脳裏に焼き付いて離れないと思います。
クラスマッチやってた
その後部活行ったら先輩が携帯で中継見てて、それで地震のこと知りました。
この日を境に好きなサイトさんが更新止まって悪い想像しましたが数年後戻って来られて安心した覚えがあります。
今でも震災関係で解決していない問題にやるせない気持ちになります。
この日を境に好きなサイトさんが更新止まって悪い想像しましたが数年後戻って来られて安心した覚えがあります。
今でも震災関係で解決していない問題にやるせない気持ちになります。
休みにドライブ
してたら凄まじく道路がうねって事故りそうになった
電柱ってこんなに揺れるんだ...って他人事のように見てた
今日はYahooで3.11を検索すると10円寄付されるらしいからみんなやろうね
電柱ってこんなに揺れるんだ...って他人事のように見てた
今日はYahooで3.11を検索すると10円寄付されるらしいからみんなやろうね
美容室にいた
カットの仕上げをしてもらっている最中でした。震源地とはだいぶ離れた場所でしたが、鏡がガタガタ揺れ、美容室の看板犬が不安そうに鳴いていたことを覚えています。心ここにあらずで帰宅、報道を見て呆然としました
幼稚園の机の下でUNO
今思うとそれなりに揺れた地域だったのに危機感がなかった……。朝から母が具合を悪くしていたため、血相を変えた祖母が迎えにきてくれた覚えがある。あと会社から帰ってこれなくなった父のパソコンが使い放題だったので、2ch(V速だったかも)を見放題し、そこでもっと海沿いの地域はやばいらしいと知った。
卒業式の翌日
のんきに友達とカラオケで熱唱してたら、突然揺れ始めたので外に避難し、 他のお客さん達と駐車場で身を寄せあっていました。
揚げ物をしていた店員さんは油がひっくり返ったらしく、足を火傷されていたのを凄く覚えています
揚げ物をしていた店員さんは油がひっくり返ったらしく、足を火傷されていたのを凄く覚えています
卒業式の予行練習
合唱中、何か台から変な音がすると思ったら突然めちゃくちゃ大きいのが来て、一斉に非常口から校庭に逃げた。
校舎の二回からでも津波が見えたし、帰る途中の河が引き潮でえらいことになってた。
校舎の二回からでも津波が見えたし、帰る途中の河が引き潮でえらいことになってた。
修了式が終わったあと友だちといた
電車も動いてないので40分くらい歩いて帰ったら家の中がめちゃくちゃになってた
ロフトベッドが20cmくらい動いててビビりました
ロフトベッドが20cmくらい動いててビビりました
親といた
当時小3で早く帰れたので家族で「この時間に揃うなんて珍しいねー」とか言ってた。そしたら家中のブレーカーが落ちて地震が来た。その日は電気が復旧しなかったので地震1つでここまで街が変わるのか…って思った
本屋にいた
地元の古いスーパーの二階の本屋で雑誌を見てたらふわ〜って揺れて、立ちくらみかな?と思って家帰ってテレビつけたら……。震源地からかなり離れたところなので直接的な被害はありませんでしたが、未だに震災のニュースなどは心が痛みます。
学校にいた
揺れが収まった後通っていた学童に避難。親が迎えに来るまでずっと待機してました。当時小学校低学年だったため事の大きさがあまり分かっていませんでしたが、先生達の雰囲気がいつもと違っていてそわそわしていたのを覚えています。
ボロボロのアパートに住んでいたので崩れそうで怖すぎて、自治会の避難場所の公民館に逃げ込んだ
優しいおばあちゃんに「知らせてくれてありがとう」とお茶を出してもらって優しさに泣いた。