しない
死ぬときは全身完全に死にたい。
心臓移植された人が嗜好が変わる話などを聞くと、神経細胞があるかぎりそこに少しの”私”があるのではないかと思う。
臓器提供すればそこに残った”私”の苦しみは続くのかもしれない。
それも完全に安らかに終わらせたいので臓器提供しない。